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神代のバス停から少し北野方面へ歩いて行くと…

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渋滞の名所、神代橋があります。
22番が遅れるのもだいたいこの近辺の混雑が原因で、朝夕は地獄絵図です。
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そもそも筑後川越えは昔から難所で、当然橋もなく、渡し船もそこら中にあるわけではありませんでした。
そんな中、幕府は1274年の文永の役にあたって、薩摩や肥後などにも出兵を命じたのですが、やはり筑後川をどう越えるかが問題となりました。そこでこの辺の領家である神代良忠が船を集めて浮橋を作らせて渡河の便宜を図り、幕府から感謝されることとなります。室町時代にはここに渡しが定着したとする文献も残っています。
しかし常設橋ができたのは大正時代で、その後2度流され、最終的に自動車橋として開通したのは1940年(昭和15年)のことでした。

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歩道橋については調べていないので何とも言えませんが、よくこれを78年も持たせたなと思います。
見ての通り全線片側1車線で、橋の南北にある交差点も右折レーンなどがありませんでしたから、四六時中渋滞していました。
特に久留米市街地に向かう場合は橋の南側で右折しなければならなかったのですが、対向の直進からは善導寺方面から抜け道(農道)を通って神代橋を渡ろうとする車もまあまあ来ていたので、にっちもさっちもいかなくなっていました。

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さて、そんなボロい橋も3月4日に新設橋に切り替えることとなり、新設橋の開通と同時に旧橋は封鎖されます。
前後の県道53号も経路変更が行われ、堤防へ登る部分から旧橋への数百mほどが使用停止されます。

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神代橋を渡る最後のバスを見送り、

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橋の南側で切り替えを見守ります。
左の写真から少し右に視点をずらすと右の写真になります。パイロンで塞がれているのは堤防道路から新しい神代橋へ行く道です。左側へ向かうのが後に封鎖される県道53号、そして写真の真後ろ側が善導寺方面への抜け道に使われる道路です。


肝心の切り替え風景は動画で撮ってありますが、長いので概略を説明すると…
・閉鎖区間の手前を塞ぎ、残った車を全て行かせる(新規区間はまだ開けない)
・信号を停止させ、警察官の誘導に切り替える
・車が捌けた道路からパイロンやバリケードで塞いでいく
・交差点に入る全ての道路でこれが完了したら、新道へ行かせる
という具合です。すなわち、交差点に来るタイミングが悪いとかなり待たされたり、行きたい方向に行けなかったりします。

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最終的には堤防道路と農道だけの単純なT字路となり、信号がなくなる代わりに一時停止となりました。

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西隣にできた新しい橋は片側2車線で、真っ直ぐ行けばそのまま東バイパスに出られます。

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石崎を通過したバスが来ました。従来は石崎を直進して神代橋に入っていましたが、新設橋になったので一度堤防道路へ入り、左折で神代橋に入ります。

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渡ってきたバスは橋の南側で右折して堤防道路へ入り…

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またすぐ左折して県道53号に降りていきます。
県道53号も堤防道路とは一時停止のT字路でつながっており、やっぱりバスは遅れるんじゃないかなぁと思うわけです。

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ちなみに、橋から東バイパスの方へ直進すると、こんな道です。東郵便局の前に出てきます。
広々快適、安全。

新しい橋の周辺については次の記事でも紹介しているので、記事上下の前後リンクからご覧ください。