Twitterでこのような文章が出回っています。
これは、「蓮舫議員が事業仕分けで小石原川ダムと玉来ダムの建設事業を凍結したことにより、今回の被害が起きてしまった」という内容です。
最初に言っておきますが、これは地理的な矛盾が甚だしく、有り得ません。地図を見ればわかることなのに、適当なことを言っているだけにすぎません。
また、このブログ記事は災害に対する政府や政党の対応を批判したり、ダムは必要ないと主張するものではなく、このコピペを見境なく拡散しようとする人々に対する非難を意図したものです。右側は普段から「真実を暴く」などと言っていますが、今回のように地図を見ればすぐわかるような誤りを、蓮舫を叩けるからと易々と拡散してしまうその神経は、極めて醜悪です。
筑後川流域は有史以来水害との戦いを続けてきた地域です。その治水対策に水を差すようなことをしたという点では件の事業仕分けに対する批判もあって当然ですが、明らかに因果関係が認められない「小石原川ダム・玉来ダムの建設差し止め」と「平成29年7月北部九州豪雨」を結びつけ、それに基づいて批判するのは、おかしな話です。
まず、玉来ダムは大分県竹田市と熊本県産山村で事業が進められているダムで、ダムが設置される玉来川は大野川へ合流し、大野川は最終的に別府湾へ流れ込みます。
被災地域に大分県日田市が入っていることから玉来ダムの名を出したのかもしれませんが、同じ大分県でも日田と竹田の間にはくじゅう連山があり、地理的な繋がりはほとんどありません。もし大鶴の土砂崩れがくじゅう連山を越えて南へ来たというのであれば話は別ですが。
(ちなみに平成24年7月豪雨でこの近辺が災害を受けた際は、玉来ダムの北隣にある稲葉ダム下流がほとんど被害を受けなかったのに対し、未完成だった玉来ダムの下流では被害が起きました。事業差し止めがなかった場合の玉来ダムの完成時期については諸説ありますが、最初に挙げたツイートに対しこの話を盛り込んだ意見は見られませんでした。)
さて、本題の小石原川ダムについてです。
Twitterで見る限りでは、
・小石原川ダムは東峰村のダムで、事業仕分けがなければ2015年に完成していた
・東峰村は被災したが、もしこのダムがあれば被害を防ぐことが出来ていた
という論法で前述の話を拡散しているようです。
今回の災害では主に土砂崩れと流木によって被害が発生しています。報道映像などを見ると、川の上流で山滑りが起き、それによって流出した大量の土砂と樹木が川沿いの地域に被害を及ぼしたと考えられます。
また、川の下流地域では流木が橋に引っかかってビーバーダムのようになり、それが氾濫につながっています。
![img037](https://livedoor.blogimg.jp/salam817gokase1124/imgs/b/6/b648e6c1-s.jpg)
周辺の川の流れ方を簡単に示した図です。報道で頻出している場所を赤色で網掛しています。縮尺などは特に考慮していません。
小石原川ダムは東峰村の集落がある地域より下流にあり、しかも施設自体の所在地は朝倉市(ダム湖は東峰村域まで及ぶ)なので、先ほど挙げた2つの条件はいずれも崩れます。
「小石原川ダムが出来ていれば被害は多少軽減できたのでは?」という意見もありましたが、流木や土砂が集落を破壊しながら川を下り、ダムまでやってくるのですから、ダムの洪水防止機能はその上流まで及びません。
小石原川ダムと後述する江川ダムの間に人は住んでいません。
また、小石原川ダム建設地のすぐ下流には1972年に完成した江川ダム(えがわダム)もあります。このダムは今回決壊しませんでしたが、ダム湖には大量の流木が滞留しました。
小石原川の江川ダムより下流には朝倉市秋月、持丸、甘木のほか、三輪町や大刀洗町などもありますが、この辺が報道で一切出てきていないのを見ると、ほとんど被害が出ていないものと考えられます。小石原川の下流沿いを走る西鉄甘木線も災害翌日から通常運行しています。
秋月地区は観光地として有名な場所で、また甘木地区は朝倉市役所やピーポートといった公共施設のほか、キリンビール、ブリジストンなどの工場もあります。
もし少しでも被害が出ていれば、実際の被災地域と合わせて大々的に報道されていたのではないでしょうか。
つまり、小石原川ダムが東峰村の災害に影響したということは有り得ません。朝倉市に対しても同様です。
ちなみに、主題となっているコピペを批判する意見に「ダムは造っても意味がない」というものもありましたが、江川ダムと後述の寺内ダムの活躍を鑑みれば、それも誤りです。
「ダムは意味があった!それを事業仕分けで安易にカットしたのは間違いだった!」ともう少し広く考えた批判意見が拡散されればこれも妥当でファインプレーだったのですが、残念ながら最初に挙げたツイートが広がってしまいました。
![DFGwos1VwAAkCgA](https://livedoor.blogimg.jp/salam817gokase1124/imgs/c/e/ce35fdd0-s.jpg)
![DFGwsVQVwAAmDPY](https://livedoor.blogimg.jp/salam817gokase1124/imgs/4/4/44be72ab-s.jpg)
江川ダムの諸元 http://www.water.go.jp/chikugo/ryochiku/html/dam/shogen.html
江川ダムの貯水量 http://www.water.go.jp/chikugo/ryochiku/html/dam_data/index.html
豪雨からしばらく経ってからも、江川ダムは満水位225mに対し、7月15日には224.94mまで水位が上がりました。
「もし江川ダムが決壊していたらどうするんだ!」という批判もまた妥当ですが、最初に挙げた文章に賛同する意見の中に、江川ダムについて触れたものは見かけませんでした。
********
(要約)
・小石原川ダムは東峰村より下流にある
・ダムは上流地域に対する洪水防止機能を持たない
→小石原川ダムが出来ていても、東峰村の被害は防げなかった
・小石原川ダム建設地のすぐ下にある江川ダムは決壊しなかった
・江川ダムより下流の地域で目立った被害は起きなかった
→ダムは下流の洪水防止に対し有効である
政治的な批判をするのもいいですが、情報を適当につなぎ合わせて自分の主張に沿うようにしている内は、捏造とあまり変わりありません。
文中にも挙げたように、事業仕分けを用いて蓮舫を批判するならいくらでも筋の通った言い方はあったのに、こんな内容が広がっているようでは、左側と同じ穴の狢です。
この件は「当事者は真実を言わないが、証拠はある」などという類の話ではなく、ちょっと調べて道路地図帳を買って読むだけでも分かる話なので、余計にレベルが低いです。
ちなみに、左とおぼしき人からはこんな意見も出ていました。
日田のダムは夜明ダムのことを指しているようですが、こちらは筑後川のダムなので佐田川流域の黒川とは関係ありません。やはり地理関係を無視したものです。
右も左も、何も考えていません。久留米の人間からすれば滑稽であり、また腹立たしくもあります。
******************
以下、このコピペに限らず被災地域全体に関して、地理関係に主眼を置いた補足的な話です。
東峰村ということで一緒くたにされていますが、東峰村には大きく分けて北から「旧小石原村(こいしわら)」「旧宝珠山村(ほうしゅやま)」の2つの地域があります。いずれも被災したことには変わりないのですが、お互い山で隔てられており、流れている川も異なります。
小石原地区は先に述べた小石原川が、宝珠山地区は大肥川(おおひがわ)というのが流れています。大肥川は宝珠山の北側を水源とする川で、同じく被災地域の日田市大肥(一連の報道で大鶴地区と呼ばれている場所)を経由して筑後川へ流入します。
この他、日田市内ではJR久大本線の花月川(かげつがわ)にかかる橋梁も流されましたが、小石原川、大肥川、花月川いずれも水源は同じ英彦山系内にあり、その内被害を免れたのは小石原川の江川ダムより下流の地域のみです。
もしこれらの川の水源に近い場所にダムを造っていれば被害は免れたかもしれませんが、小さな支流が多いことや、地形を考えると、やや厳しい面があります。
朝倉市に話を戻します。
朝倉市は西から順に「旧甘木市(あまぎ)」「旧朝倉町」「旧杷木町(はき)」に分けることができます。
甘木地区は先に述べた小石原川の他、東側に佐田川(さたがわ)が流れています。こちらの佐田川にも、江川ダム・小石原川ダムよりやや規模は小さいながら、「寺内ダム(てらうちダム)」があります。
寺内ダムも江川ダムと同様しっかり機能し、ダムより下流の朝倉市三奈木では若干の道路破損が見られましたが、最終的に大規模な被害は出さずに済んでいます。しかし寺内ダムより上流にある朝倉市黒川では甚大な被害が発生し、こちらも東峰村小石原と同じく、ダムの位置が命運を分けました。
佐田川の東へ目を移すと、今度は朝倉地区を流れる「桂川(かつらがわ)」が流れています。こちらは佐田川と同じ山を水源としていますが、比較的短い川で、ダムはありません。桂川が原因で起きた被害として目立ったものとして、比良松(ひらまつ)中学校の大規模損壊と国道386号を塞いだ流木が挙げられます。
国道386号やその北側にある住宅街に架かる橋に流木が引っかかり、川が氾濫したことが原因です。こちらもダムがあれば防げたかもしれませんが、桂川の規模を考えるとダム建設はあまり現実的ではありません。
桂川より更に東へ行くと、「通堂川(とおりどうがわ)」があります。こちらは山の麓にある溜池から流れている川で、国道386号山田交差点と、朝倉三連水車もこの川による被害を受けました。
こちらは山の上から落ちてきた木が溜池を決壊させたのが原因とされています。
通堂川からしばらく東へ行くと、杷木地区を流れる「赤谷川(あかたにがわ)」があります。この赤谷川流域では朝倉市杷木松末(はきますえ)の被害が大々的に取り上げられています。赤谷川は杷木松末で別の川が合流しており、これが原因の一つとなったとも考えられそうです。
ちなみに赤谷川は宝珠山の西側から、杷木松末で合流する川は佐田川水源と同じ山から流れ出ています。
******************
この一帯は林業が盛んで、東峰村に関しては小石原焼も有名です。木と土に恵まれた地域でこのような災害が起きてしまったことから、「50年に一度」とも言われた今回の豪雨の凄まじさが窺えます。
広大な平野が広がる筑後川の下流域では、有史以来水害との戦いが繰り広げられてきました。流路変更や用水路整備、護岸工事などが延々と行われ続け、巨大な堤防も各所に存在します。これにより、柳川や久留米といった地域では昭和末期以降、筑後川の氾濫を直接の原因とする大規模な災害は起きていません。
一方、下流が厄介すぎたことで中流上流域は比較的手薄となり、支流の氾濫による浸水や、台風による風倒木が続きました。それでも、台風の多くは南九州から四国へ流れていくことが多く、朝倉市や日田市では今回のような災害が起きたことはありません。
(実際は毎年のように何かしらの被害が出ていますが、人の生活に深く支障をきたすようなものはまれです。平成24年7月の豪雨は熊本県阿蘇地方が中心で、福岡県では八女市など矢部川流域で道路崩壊などの被害が発生しましたが、比較的迅速に復旧が進みました)
江川ダムと寺内ダムにより甘木地区などで被害を免れたことを踏まえれば、ダムが洪水防止に有効であることが改めて実証されたと言えるでしょう。しかし今回は、川の水源に近い場所での豪雨が、ダムより上流/ダムがない川で被害を及ぼしています。こうした場所はダムを造ること自体が難しく、今回の災害に対して事前の予防策があったかどうか、素人目に見れば手詰まりのような気もします。
今回の災害が筑後川中上流域の対策をより一層後押しするきっかけとなり、今後これ以上の被害が起きないことを祈るばかりです。
また、福岡県南部出身者として、朝倉・日田における被災状況にはなおのこと心を痛めております。この度犠牲となった方々へ心からお悔やみを申し上げるとともに、一刻でも早く復旧し、普段通りの生活を取り戻せることを願っております。
民主党政権事業仕分け
— はすみ としこ (@hasumi29430098) 2017年7月18日
↓
東峰村のダム工事(2015年完成予定)差止め
小石原川ダム
玉来ダム
↓
九州豪雨
↓
洪水
↓
死者多数
↓
蓮舫「家は大丈夫でしたか」
凄い一連の流れ😱https://t.co/EFLC9wUYzw
これは、「蓮舫議員が事業仕分けで小石原川ダムと玉来ダムの建設事業を凍結したことにより、今回の被害が起きてしまった」という内容です。
最初に言っておきますが、これは地理的な矛盾が甚だしく、有り得ません。地図を見ればわかることなのに、適当なことを言っているだけにすぎません。
また、このブログ記事は災害に対する政府や政党の対応を批判したり、ダムは必要ないと主張するものではなく、このコピペを見境なく拡散しようとする人々に対する非難を意図したものです。右側は普段から「真実を暴く」などと言っていますが、今回のように地図を見ればすぐわかるような誤りを、蓮舫を叩けるからと易々と拡散してしまうその神経は、極めて醜悪です。
筑後川流域は有史以来水害との戦いを続けてきた地域です。その治水対策に水を差すようなことをしたという点では件の事業仕分けに対する批判もあって当然ですが、明らかに因果関係が認められない「小石原川ダム・玉来ダムの建設差し止め」と「平成29年7月北部九州豪雨」を結びつけ、それに基づいて批判するのは、おかしな話です。
まず、玉来ダムは大分県竹田市と熊本県産山村で事業が進められているダムで、ダムが設置される玉来川は大野川へ合流し、大野川は最終的に別府湾へ流れ込みます。
被災地域に大分県日田市が入っていることから玉来ダムの名を出したのかもしれませんが、同じ大分県でも日田と竹田の間にはくじゅう連山があり、地理的な繋がりはほとんどありません。もし大鶴の土砂崩れがくじゅう連山を越えて南へ来たというのであれば話は別ですが。
(ちなみに平成24年7月豪雨でこの近辺が災害を受けた際は、玉来ダムの北隣にある稲葉ダム下流がほとんど被害を受けなかったのに対し、未完成だった玉来ダムの下流では被害が起きました。事業差し止めがなかった場合の玉来ダムの完成時期については諸説ありますが、最初に挙げたツイートに対しこの話を盛り込んだ意見は見られませんでした。)
さて、本題の小石原川ダムについてです。
Twitterで見る限りでは、
・小石原川ダムは東峰村のダムで、事業仕分けがなければ2015年に完成していた
・東峰村は被災したが、もしこのダムがあれば被害を防ぐことが出来ていた
という論法で前述の話を拡散しているようです。
今回の災害では主に土砂崩れと流木によって被害が発生しています。報道映像などを見ると、川の上流で山滑りが起き、それによって流出した大量の土砂と樹木が川沿いの地域に被害を及ぼしたと考えられます。
また、川の下流地域では流木が橋に引っかかってビーバーダムのようになり、それが氾濫につながっています。
![img037](https://livedoor.blogimg.jp/salam817gokase1124/imgs/b/6/b648e6c1-s.jpg)
周辺の川の流れ方を簡単に示した図です。報道で頻出している場所を赤色で網掛しています。縮尺などは特に考慮していません。
小石原川ダムは東峰村の集落がある地域より下流にあり、しかも施設自体の所在地は朝倉市(ダム湖は東峰村域まで及ぶ)なので、先ほど挙げた2つの条件はいずれも崩れます。
「小石原川ダムが出来ていれば被害は多少軽減できたのでは?」という意見もありましたが、流木や土砂が集落を破壊しながら川を下り、ダムまでやってくるのですから、ダムの洪水防止機能はその上流まで及びません。
小石原川ダムと後述する江川ダムの間に人は住んでいません。
また、小石原川ダム建設地のすぐ下流には1972年に完成した江川ダム(えがわダム)もあります。このダムは今回決壊しませんでしたが、ダム湖には大量の流木が滞留しました。
小石原川の江川ダムより下流には朝倉市秋月、持丸、甘木のほか、三輪町や大刀洗町などもありますが、この辺が報道で一切出てきていないのを見ると、ほとんど被害が出ていないものと考えられます。小石原川の下流沿いを走る西鉄甘木線も災害翌日から通常運行しています。
秋月地区は観光地として有名な場所で、また甘木地区は朝倉市役所やピーポートといった公共施設のほか、キリンビール、ブリジストンなどの工場もあります。
もし少しでも被害が出ていれば、実際の被災地域と合わせて大々的に報道されていたのではないでしょうか。
つまり、小石原川ダムが東峰村の災害に影響したということは有り得ません。朝倉市に対しても同様です。
ちなみに、主題となっているコピペを批判する意見に「ダムは造っても意味がない」というものもありましたが、江川ダムと後述の寺内ダムの活躍を鑑みれば、それも誤りです。
寺内ダムも江川ダムもひとまずお疲れ様でしたー。 pic.twitter.com/0TAuWtKEsv
— 星野夕陽 (@choidamnet) 2017年7月6日
「ダムは意味があった!それを事業仕分けで安易にカットしたのは間違いだった!」ともう少し広く考えた批判意見が拡散されればこれも妥当でファインプレーだったのですが、残念ながら最初に挙げたツイートが広がってしまいました。
![DFGwos1VwAAkCgA](https://livedoor.blogimg.jp/salam817gokase1124/imgs/c/e/ce35fdd0-s.jpg)
![DFGwsVQVwAAmDPY](https://livedoor.blogimg.jp/salam817gokase1124/imgs/4/4/44be72ab-s.jpg)
江川ダムの諸元 http://www.water.go.jp/chikugo/ryochiku/html/dam/shogen.html
江川ダムの貯水量 http://www.water.go.jp/chikugo/ryochiku/html/dam_data/index.html
豪雨からしばらく経ってからも、江川ダムは満水位225mに対し、7月15日には224.94mまで水位が上がりました。
「もし江川ダムが決壊していたらどうするんだ!」という批判もまた妥当ですが、最初に挙げた文章に賛同する意見の中に、江川ダムについて触れたものは見かけませんでした。
********
(要約)
・小石原川ダムは東峰村より下流にある
・ダムは上流地域に対する洪水防止機能を持たない
→小石原川ダムが出来ていても、東峰村の被害は防げなかった
・小石原川ダム建設地のすぐ下にある江川ダムは決壊しなかった
・江川ダムより下流の地域で目立った被害は起きなかった
→ダムは下流の洪水防止に対し有効である
政治的な批判をするのもいいですが、情報を適当につなぎ合わせて自分の主張に沿うようにしている内は、捏造とあまり変わりありません。
文中にも挙げたように、事業仕分けを用いて蓮舫を批判するならいくらでも筋の通った言い方はあったのに、こんな内容が広がっているようでは、左側と同じ穴の狢です。
この件は「当事者は真実を言わないが、証拠はある」などという類の話ではなく、ちょっと調べて道路地図帳を買って読むだけでも分かる話なので、余計にレベルが低いです。
八ッ場ダムの皆さん、今回、山津波が起きた福岡県朝倉市の黒川地区は、大分県日田市の隣で、日田のダムは、九州電力の設備も損壊していると報道されています。
— Mie Matsu (@miemaneki) 2017年7月9日
でも、映像は一切出てきません。間違いなくダム放流の判断ミスだと思います。。 https://t.co/lRmGlrZ9t4
ちなみに、左とおぼしき人からはこんな意見も出ていました。
日田のダムは夜明ダムのことを指しているようですが、こちらは筑後川のダムなので佐田川流域の黒川とは関係ありません。やはり地理関係を無視したものです。
右も左も、何も考えていません。久留米の人間からすれば滑稽であり、また腹立たしくもあります。
******************
以下、このコピペに限らず被災地域全体に関して、地理関係に主眼を置いた補足的な話です。
東峰村ということで一緒くたにされていますが、東峰村には大きく分けて北から「旧小石原村(こいしわら)」「旧宝珠山村(ほうしゅやま)」の2つの地域があります。いずれも被災したことには変わりないのですが、お互い山で隔てられており、流れている川も異なります。
小石原地区は先に述べた小石原川が、宝珠山地区は大肥川(おおひがわ)というのが流れています。大肥川は宝珠山の北側を水源とする川で、同じく被災地域の日田市大肥(一連の報道で大鶴地区と呼ばれている場所)を経由して筑後川へ流入します。
この他、日田市内ではJR久大本線の花月川(かげつがわ)にかかる橋梁も流されましたが、小石原川、大肥川、花月川いずれも水源は同じ英彦山系内にあり、その内被害を免れたのは小石原川の江川ダムより下流の地域のみです。
もしこれらの川の水源に近い場所にダムを造っていれば被害は免れたかもしれませんが、小さな支流が多いことや、地形を考えると、やや厳しい面があります。
朝倉市に話を戻します。
朝倉市は西から順に「旧甘木市(あまぎ)」「旧朝倉町」「旧杷木町(はき)」に分けることができます。
甘木地区は先に述べた小石原川の他、東側に佐田川(さたがわ)が流れています。こちらの佐田川にも、江川ダム・小石原川ダムよりやや規模は小さいながら、「寺内ダム(てらうちダム)」があります。
寺内ダムも江川ダムと同様しっかり機能し、ダムより下流の朝倉市三奈木では若干の道路破損が見られましたが、最終的に大規模な被害は出さずに済んでいます。しかし寺内ダムより上流にある朝倉市黒川では甚大な被害が発生し、こちらも東峰村小石原と同じく、ダムの位置が命運を分けました。
佐田川の東へ目を移すと、今度は朝倉地区を流れる「桂川(かつらがわ)」が流れています。こちらは佐田川と同じ山を水源としていますが、比較的短い川で、ダムはありません。桂川が原因で起きた被害として目立ったものとして、比良松(ひらまつ)中学校の大規模損壊と国道386号を塞いだ流木が挙げられます。
国道386号やその北側にある住宅街に架かる橋に流木が引っかかり、川が氾濫したことが原因です。こちらもダムがあれば防げたかもしれませんが、桂川の規模を考えるとダム建設はあまり現実的ではありません。
桂川より更に東へ行くと、「通堂川(とおりどうがわ)」があります。こちらは山の麓にある溜池から流れている川で、国道386号山田交差点と、朝倉三連水車もこの川による被害を受けました。
こちらは山の上から落ちてきた木が溜池を決壊させたのが原因とされています。
通堂川からしばらく東へ行くと、杷木地区を流れる「赤谷川(あかたにがわ)」があります。この赤谷川流域では朝倉市杷木松末(はきますえ)の被害が大々的に取り上げられています。赤谷川は杷木松末で別の川が合流しており、これが原因の一つとなったとも考えられそうです。
ちなみに赤谷川は宝珠山の西側から、杷木松末で合流する川は佐田川水源と同じ山から流れ出ています。
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この一帯は林業が盛んで、東峰村に関しては小石原焼も有名です。木と土に恵まれた地域でこのような災害が起きてしまったことから、「50年に一度」とも言われた今回の豪雨の凄まじさが窺えます。
広大な平野が広がる筑後川の下流域では、有史以来水害との戦いが繰り広げられてきました。流路変更や用水路整備、護岸工事などが延々と行われ続け、巨大な堤防も各所に存在します。これにより、柳川や久留米といった地域では昭和末期以降、筑後川の氾濫を直接の原因とする大規模な災害は起きていません。
一方、下流が厄介すぎたことで中流上流域は比較的手薄となり、支流の氾濫による浸水や、台風による風倒木が続きました。それでも、台風の多くは南九州から四国へ流れていくことが多く、朝倉市や日田市では今回のような災害が起きたことはありません。
(実際は毎年のように何かしらの被害が出ていますが、人の生活に深く支障をきたすようなものはまれです。平成24年7月の豪雨は熊本県阿蘇地方が中心で、福岡県では八女市など矢部川流域で道路崩壊などの被害が発生しましたが、比較的迅速に復旧が進みました)
江川ダムと寺内ダムにより甘木地区などで被害を免れたことを踏まえれば、ダムが洪水防止に有効であることが改めて実証されたと言えるでしょう。しかし今回は、川の水源に近い場所での豪雨が、ダムより上流/ダムがない川で被害を及ぼしています。こうした場所はダムを造ること自体が難しく、今回の災害に対して事前の予防策があったかどうか、素人目に見れば手詰まりのような気もします。
今回の災害が筑後川中上流域の対策をより一層後押しするきっかけとなり、今後これ以上の被害が起きないことを祈るばかりです。
また、福岡県南部出身者として、朝倉・日田における被災状況にはなおのこと心を痛めております。この度犠牲となった方々へ心からお悔やみを申し上げるとともに、一刻でも早く復旧し、普段通りの生活を取り戻せることを願っております。