

さて、昨日の福島高校前交差点の右側には、こんな表示が。


しばらく場内を進んでいきます。


そこでたどり着くのが、北部九州最大の「岩戸山古墳」です。この中に埋葬されているのは、「磐井」という人。当時の北部九州最強の豪族です。
磐井は、当時のヤマト朝廷に対して反抗したため殺されました。ただ、古事記と日本書紀と筑後風土記との間で磐井が倒れた磐井の乱に関する説明の違いが存在しているため、本当に反乱を起こしたかどうかは謎です。

岩戸山古墳は何がすごいのかというと、文献などによって誰が何の目的で埋葬されたのかがはっきりとわかっている点です。
古墳は豪族の墓であるわけですが、中になんという名前の人が埋葬されているかは、意外とわからないものらしいです。
豪族であってもお墓であることには変わらないですし、古墳と言えども大量にあるということでそういった情報は瑣末に扱われたという認識でいていいのでしょうか。
ちなみにこの近辺には、広川町や八女市の山岳地帯から現在の筑後市の平野部分にかけて、実に100個以上の古墳が広がっているそうです。


前方後円墳だったらしいのですが、ここが円の部分だと言われても困ります。


古墳は大量にありすぎて予算が用意できず、なかなか発掘調査が進んでいないのですが、いわゆる「天皇陵」になると話は別で、今度は宮内庁が許可を出さないんだとか。
この岩戸山古墳はどちらかと言うと前者の理由らしいのですが、真偽は私にはわかりません。

ひとしきり古墳を抜け、国道3号とは反対側へ出てくると、神社があります。

そして、岩戸山歴史資料館。


これが館内。近隣の古墳や、古墳以外の場所から出土したものが展示されています。このあたりの古墳の埋葬品として近畿などの古墳と違うのは、埴輪が人間の実物大で、しかも石で作られていたということです。
受付にいた方に少しお話をしていただいたのですが、朝廷に対抗して自分たちは違うものを作ろうと言う意志のもとで石製埴輪ができたのでは、とのことでした。
また磐井は、今で言う久留米で政治をやってはいたものの、結局心の拠り所は八女で、一族揃って八女に住んでいたそうです。