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「筑後川昇開橋」。
佐賀~柳川線の内、柳川から新茶屋で別れて南側の道路を通る便がここで終点になっていたのですが、ことしの3月末で廃止になってしまいました。

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バス停の名前はもちろん、かの有名な筑後川昇開橋からとったものです。
バス停のベンチも、誰が考えたのか、昇開橋型。ミニ昇開橋と本物(←最初、「ミニ紹介京都本物」と変換されましたw)のツーショットを撮ってみますw
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左が新茶屋、西鉄柳川方面、右が折り返し場です。向こうに昇開橋が見えていますね。
折り返し場からまた先に行くと、筑後川に突っ込んでしまいますw

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時刻表と路線図。
末期の本数は、というか結構前からこのダイヤだったのですが、非常に少なく、昇開橋行きのバス停が近くても、佐賀~柳川線のバスを利用していた人は多かったかもしれませんね。

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廃止のお知らせ。

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佐賀競馬バスも、もう長らく着ていなかったのではないかと思います。

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折り返し場の先にある堤防に上ると、上流側に筑後川と大中島が見えます。

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そして下流側に、筑後川昇開橋。
この筑後川昇開橋は1935年、国鉄佐賀線の「筑後若津橋梁」として建設されたもので、有明海の干満によって変化する水位の中でも大型船が不自由なく通ることができるように設計されています。
その後1987年に佐賀線は廃止され、それと共にこの橋梁も撤去されそうになりましたが、大川市と諸富町ではこの橋梁を街のシンボルとして残そうという動きがあり、1996年に遊歩道橋として再び開設されました。
その後2003年に重要文化財に登録され、2007年には機械遺産にも登録されました。

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一度堤防を降りて、今度は若津昇開橋公園へ行ってみます。

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公園の中から橋に上ってみることにします。

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このあたりが、筑後若津駅跡です。
どうやら幸福の鐘がある建物が駅だったというわけではないようで。

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橋の至近に筑後若津駅があり、当時は筑後大川駅と諸富駅の間にありました。
また、橋の中央の可動部には筑後川信号場がありまして、一般的に言うような離合設備としての信号場ではなく、可動部の上げ下げに関わる信号操作を行っていました。

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若津川から紹介教の可動部まで来ると、こんな感じです。
一昨年から去年にかけて補修作業が行われていたので、色が綺麗に塗り直されています。

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大川の街のシンボルの一つでもあった筑後川昇開橋、そこへバスが直接行かなくなったのは、すごく残念なことです。